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台鐡西部幹線彰化駅から10分ほど歩いたところにある機関区、彰化機務段。
今回訪問したときには受付がなく、自由に構内に入って見学できるようになっていた。
以前は一般公開日以外は予約が必要だったり、パスポートを預けたりしなくてはいけなかったのだ。
彰化機務段を有名にしているのが日本統治時代に造られた扇形庫。
1922年(大正11年)に建設され、台湾に残る唯一の扇形庫として産業遺産に指定されている。
さらに今でも現役で、動態保存されている蒸気機関車もこの彰化機務段に所属する。
上の写真の蒸気機関車は共にタンク式で、手前が1917年(大正6年)製のCK101、奥は1936年(昭和11年)製のCK124。
CK124は台湾鐵路で運転されるSL列車の主力で、日本のC12形蒸気機関車と同型車だ。
こちらの蒸気機関車はテンダー式で1942年(昭和17年)に製造されたCT273。
日本のC57形蒸気機関車(貴婦人)と同型車で、現在は静態保存中。
またこの系列の最終増備車は日本で製造された最後の蒸気機関車になるそうだ。
ボイラーがはずされカバーが掛けられたこの蒸気機関車はDT668。
1941年(昭和16年)に製造され、現在は動態保存するために復元工事中。
この機関車も日本の蒸気機関車を台湾向けに製造したもので、D51形蒸気機関車(デゴイチ)と同型車だ。
近い将来、台湾でD51形蒸気機関車が本線上を驀進する姿を見ることができるだろう。
虎尾駅の南隣にある虎尾糖廠の正門。
この正門の横から製糖工場の外へ延びる線路が1本ある。
レールが草に埋もれてしまっているけれど、ここに残っているのは軌間762mmと1067mmの3線軌道だ。
762mmの線路は台湾糖業鉄道の列車が走り、1067mmの線路は台湾国鉄への直通貨物が走った。
3線軌道の線路はそのまま道路に進み、距離は短いけれど併用軌道になっている。
しかし残念ながらレールはアスファルトで埋められてしまった。
ただし、列車が走っていた時代は道路の幅がもっと狭かったようだ。
そして奥に見えるのが虎尾渓橋と呼ばれる鉄橋だ。
虎尾渓橋は3線軌道のレールを残したまま現在整備中。
堤防が嵩上げされたので、鉄橋の途中に増水時に使う鉄門を造っている途中だった。
普通だったら撤去されてもおかしくないのに、列車が走らなくなった鉄橋を残すためにここまでしてくれている。
実はこの鉄橋は歴史的に貴重なもの。
3種類の橋が架かっているけど、このうち真ん中のトラス橋が実に貴重なのだ。
元は開業当初の東海道本線京都~大阪間で使われていた鉄橋!
ちなみに仮開業のときから使用されていたとすると、1876年(明治9年)のものになる。
台湾・虎尾に移設されたのは1922年(大正11年)。
翌年の1923年(大正12年)には、当時は皇太子で摂政に就任していた昭和天皇が視察に訪れている。
虎尾糖廠の入口前の踏切から中山路を南へ歩いて行くと、歩道に線路のモニュメントがあった。
壁にはかつての虎尾の街並みや製糖工場の写真が貼られている。
この壁の向こうは工場のヤード。
さらに南に行くと、交差点の前に虎尾駅がある。
かなりきれいになっているけど、かつて旅客営業をしていた虎尾駅をリニューアルしたものかは不明。
建物の中は売店やレストランになっていて、誰でも中に入ることができる。
虎尾駅の中を通り抜けて線路側に出ると、かつて製糖鉄道でサトウキビ列車を牽引した蒸気機関車が置かれていた。
残念ながら静態保存機なので列車を牽引することはできない。
ぜひ復活して路地裏を再び走ってもらいたいものだ。
サトウキビを運搬する貨車を改造した客車が留置されていた。
現在は貨物列車だけの虎尾でも、将来は観光列車を走らせるのだろうか。
それより気になるのが客車の側面に描かれた絵。
巨大な虎が蒸気機関車牽引の列車を持ち上げてしまっていますが・・・。
台湾南部の雲林県に虎尾という町がある。
ここに台湾で最後の1つとなってしまったサトウキビ列車が走っている。
郊外の畑から製糖工場へ、収穫したサトウキビを満載した貨物列車が路地裏を走る姿が虎尾の名物だ。
一応は道路との交差部には遮断機付きの踏切が備わる。
だけど踏切の内側にも自動車やバイクが駐車されてしまっているし、屋台まである。
この屋台はなんと肉屋で、虎尾名物として写真でもよく登場している。
屋台なので冷蔵庫がなく、生肉がそのまま吊るされております。
こちらは製糖工場入口から中山路踏切に出てきた無蓋車の入換え車両。
踏切は手動式で、踏切番のおじさんが遮断機を操作して列車を通している。
ここには昔ながらの鉄道が生きているような気がする。
サトウキビ列車は冬から春にかけて運転されるだけで、今シーズンの運転はもう終わっているはず。
毎年「今年が最後」とウワサされているだけに、来シーズンの運転はあるだろうか。