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        世界中の鉄道の、地味~なところを中心に。
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信越本線黒井駅に隣接する新黒井駅から浦川原駅までを結んでいた頚城鉄道。

1971年(昭和46年)5月の廃線後、約30年も神戸の山中で眠っていたのが気動車ホジ3。

そのホジ3が2012年(平成24年)10月20日、約40年ぶりに自走することに!





訪れた場所は新潟県上越市にある、くびき野レールパーク。

かつての百間町駅の跡にあり、当時の頚城鉄道本社の建物も残っている。





当日は動態復活お披露目イベントを開催。

来賓として頚城自動車(頚城鉄道から社名を変更)の社長も挨拶をしていた。

50年前に頚城鉄道に入社し、毎日列車に乗っていたそうだ。





テープカットが行われた後、いよいよホジ3の運転開始。

まずは来賓が乗車して走り出したけれど、いきなり途中で止まってしまうというハプニングが発生。

しかしその後の体験乗車では順調に走行していた。





約200mの線路を行ったり来たりするだけなのに、なかなか本格的な運転。

係員さんが手旗で合図を送り、ポイント転換の確認もしっかり行っていた。

なお当日はDC92牽引の客車列車を含め12分間隔で運転。

このような保存鉄道がますます発展しますように。




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台湾鉄路管理局西部幹線新営駅で台北方面の列車を待っていたときのこと。

ホームにある案内表示機がどうもおかしい。

行先「沙崙」、経由「山線」、列車名「自強」!?

沙崙駅は台湾新幹線台南駅に隣接する駅で、普通列車にあたる「区間車」のみ発着している。

列車も台南近郊の折返しで、新営からの直通もない。

それなのに特急にあたる「自強」が沙崙に乗り入れ!?

実際にそんな列車が走ったら面白いけど、当然ながら機械の故障です。

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2002年(平成14年)12月31日限りで廃止された有田鉄道。

現在はかつての終点金屋口駅の近くが鉄道公園になり、キハ58に体験乗車ができる。

有田川鉄道公園へは紀勢本線藤並駅から有田川町営の無料巡回バスで約15分。





鉄道公園バス停で降りると、目の前にD51形蒸気機関車が置かれていた。

1976年(昭和51年)に廃車されたあと藤並駅前で展示され、鉄道公園オープンに伴って移設されたそうだ。





公園を歩いていくと、黄色の建物にぶつかる。

ここが有田川鉄道交流館で、中には有田鉄道の資料やジオラマがある。

そしてその横には動態保存されているキハ58形ディーゼルカー!





元は富士急行が中央本線乗入れ用として製造したもので、有田鉄道には1975年入線。

両運転台車でトイレ・洗面所が無いことが特徴で、車内表記を除けば国鉄キハ58にそっくり。

毎月第2・第4の土曜・日曜に運転され、1回100円で乗車することができる。





有田鉄道最後の主力車両ハイモ180形も動態保存されている。

しかし体験乗車の主力はキハ58で、ハイモ180はあまり動かないようだ。




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明延の地には「くろがね号」の他にも車両が保存されている。

上の写真は明延鉱山学習館の前で保存されている「あかがね号」。

従業員用の電車で、手持ちの部品を組み合わせたために、前後の車輪の大きさが違っている。





窓から車内を覗き込んでみたら、意外に豪華な造り。

一般客を乗せた「くろがね号」と比べると座席に背もたれも付いて格段に良い。





隣には鉱石を運んだ電気機関車も保存。

貨車の前後に連結してプッシュプル運転を行っていたそうだ。

他にも坑道で使用していたバッテリーロコや人車も道路の反対側で保存している。




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春~秋の第1日曜日に行われている明延の一円電車乗車会に行ってきました。

スタートは山陰本線八鹿駅から。

駅前から全但バスの明延行きか明延自然学校行きに乗車する。

なお、日曜朝に駅前で開いている店は無く、唯一あるのは駅の売店のみ。





八鹿駅から約1時間の明延で下車。

到着する直前には進行左側に一円電車の姿も見える。





バス停のすぐ近く、広場にある一円電車のりば。

保管庫を兼ねた建物の前に一円電車が停まっている。

もちろん現在も運賃は1円!

運賃は保存費用の寄付金となるので、少し多めに支払ってきました。





乗車できるのは客車「くろがね号」。

明延~神子畑を結んでいた明神電車で使われていた車両で、軌間は762mm。

車体の高さは大人の背丈ほどしかなく、かなり小さいサイズ。

これにバッテリー機関車が連結され、逆J字形に敷かれた70mほどの線路を往復する。





車内も当然ながらものすごく狭い!

ドアの前だけ一段床が低くなっていて、台車の上になる座席部分は更に高さが無い。

大人は立って歩くこともできず、座っていても頭が天井に付きそうなくらい。

この小さな客車で約3分の旅を楽しむ。

くろがね号の走行シーンなどは動画でご覧ください。




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2012年(平成24年)8月19日、京王線調布付近の線路が地下化された。

当日は始発から10時頃まで一部区間が運休になり、折返し運転が行われた。

その中でも京王稲田堤~若葉台間は、折返し設備が京王稲田堤に無いため単線運転をした。

上の写真は代用閉塞のために添乗する係員さん。





京王稲田堤行きの電車は下り線をゆっくりと逆走。

いつもより少し時間をかけて終点へ到着すると、上り線に線路切替後の試運転列車が待機していた。

ちなみに京王稲田堤行きは行き先の設定が無いので、方向幕は「臨時」。





列車は約40分間隔しかないため、改札口は閑散としていた。

駅員さんや代行バスのりばへの案内する人も手持ち無沙汰のよう。





車両に「京王稲田堤」の表示は無いけど、ホームの案内表示機には「京王稲田堤」と出ていた。

しかも京王よみうりランドの下りホームで。

逆方向の駅なのに表示が出るなんて!




動画は下り線を逆走して京王稲田堤駅に入線する上り電車。




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2011年(平成23年)3月のダイヤ改正で定期運用を失ったキハ58系急行形気動車。

高山本線で最後の活躍をしたキハ58系は保留車になってしまった。

そして現在、実際の運用に就くキハ58系は盛岡車両センターのジョイフルトレイン「Kenji」3両のみ。





当然のことながら外観も車内も原形をとどめていない。

一見すれば別の車両だけど・・・、





車号を見れば「キハ58 650」という、今となっては懐かしいナンバー。

他の2両は「キハ28 2010」「キハ58 1505」。





中間に閉じ込められたキハ28には、あの懐かしい顔が残されていた。

キハ58系と言えば、当然この顔ですね。

できたらこの顔を先頭にして運転してくれないだろうか?




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